日本評論社 経済セミナー 海外論文SURVEY
2022年から2025年にかけて、経済セミナーの海外論文サーベイコーナーに計6本の寄稿をさせていただきました。 PhD課程の初期段階から、金融をテーマに記事を執筆する機会をいただけて、大変有り難かったです。幅広い読者に向けて分かりやすく伝えるコーナーということで、金融やアカデミックの専門的な内容を平易に解説する難しさを改めて実感しました。
「金融」というと、とっつきにくい分野、という印象を持たれがちですが(少なくとも学部生の私はそう感じていました)、実際の金融研究は非常に多様なトピックを扱っています。サーベイ論文を選ぶ際には、この点を踏まえて、なるべく多様な視点を提供できる、面白いデータを使った研究を意識してみました。私の研究の主なトピックは短期金融市場、銀行規制、国際金融等ですが、レビュー執筆を通じて普段とは異なるトピックにも触れることができ、視野が広がった気がします。
それぞれの論文を選んだ背景や、その後の関連分野の動向について、簡単に振り返りたいと思います(2025年2月時点)。なお、すべてのレビュー記事は、日本評論社のウェブサイトで無料公開されています (要会員登録)。 お声がけいただいた日本評論社様に、改めて感謝申し上げます。また数々の初稿を読んでくれたNorthwestern大学の奥村恭平さんにもお礼を申し上げます。
気候変動の超長期割引率を住宅価格から推定する(2022年10・11月号)
- Giglio, S., Maggiori, M., Rao, K., Stroebel, J. and Weber, A.(2021) “Climate Change and Long-Run Discount Rates: Evidence from Real Estate,” Review of Financial Studies, 34 (8): 3527-3571.のレビュー
Giglio教授を初めて知ったのは、まだPhD進学を考える前に受講したMBA向けのオプション授業でした。フォワードやオプション価格の推定といった標準的な内容にとどまらず、「既存の資産ではヘッジできないリスクはあるか」「気候変動リスクをどのように計測できるか」「気候変動リスクに関する保険商品は設計可能か」といった新しいテーマについて、2コマを費やして熱く語られていたのが印象に残っています。
当論文の、気候変動リスクが資産価格にどのように影響するのかを考える中で、割引率(discount rate)が資産価格に影響を与えるという視点は新鮮でした。レビューの中でもこの点を強調したかったのですが、初めての執筆ということもあり、表現に苦戦したのを覚えています。なお、Giglio教授の“Climate Finance”(2021)というレビュー論文でも触れられているように、株式、債券、不動産、地方債など、さまざまな資産クラスにおいて、気候変動・ESG関連の研究が理論・実証の両面で急速に発展していると感じます。実際、肌感覚ですが、Kelloggのファイナンスセミナーでも、気候変動に関するスピーカーが定期的に招かれている印象です。
自分の研究に近い金融システム面の政策をみると、2017年にNGFS(Network for Greening the Financial System) が設立され、各国の中央銀行や金融監督当局が気候変動リスクの金融システムへの影響を議論する枠組みが整備されつつあります。しかし、先日米国では、トランプ政権の発足に伴い、FRBやFDIC(預金保険機構)などの当局がNGFSから脱退しました。こうした政策の違いが、国際的な金融競争にどのような影響を及ぼすのかには個人的に注目しています。
「お金」はつくれるか?—ステーブルコインのお金らしさを測定する (2023年2・3月号)
- Gorton, G. B., Ross, C. P. and Ross, S. Y.(2022) “Making Money,” NBER Working Paper, No.29710.のレビュー
「お金とは何か?」、「金融とはそもそも何か?」は、私の研究において大事にしている大きなテーマです(やや壮大すぎる気もしますが…)。レビューした論文では、「お金とは、価値に疑問を持たれることなく流通する債権(Money is debt that circulates with no questions asked)」と定義し、19世紀米国のFree Banking 時代の銀行券と、現代のステーブルコインとの対比がとても新鮮でした。お金の本質やステーブルコインの流通性を考える上で、歴史的な視点を取り入れたこのアプローチは非常に興味深く、社会科学では実験が難しいからこそ、過去から学ぶことの重要性を実感しました。
余談ですが、Northwestern大学の経済学部は、経済史の授業が充実していることで有名です(経済学PhD取得には、最低1科目の経済史の履修とHistory Paperの執筆が必須)。ファイナンス専攻の私も2年生の時にアメリカ金融史の授業を履修しました。授業では、現在のFRBが成立する以前のFree Banking 時代(最低限の条件を満たしていれば誰でも通貨を発行できた時代!)やNational Banking 時代 から2008年のリーマンショックまでがカバーされ、現代の米国中心の国際金融システムが構築されてきた過程を学ぶことができました。この論文もそうですが、授業のreading listに載っていた論文を眺めると、アメリカ金融史分野では、比較的多くのデータ(例:銀行バランスシート)が既にデジタル化されていること、そして州・地域ごとに異なる金融規制があったことを上手く活用した実証研究が想像以上に多い印象を受けます。実際、PhD3年目には、州の間の制度差を用いて、National Banking時代における政府の財政規律と貨幣価値の関係について、同期と論文を執筆しました。まだ荒削りなペーパーですが、いつか改稿して日の目を見ることがあれば…と思っています。
因みに、アメリカの金融史を調べる過程で日本の金融史に関わる文献を読んでいたら、明治以降の日本の金融システムにも意外と地域差があったことを知り驚きました。例えば、1906年までは日本銀行の公定歩合が全国で統一されておらず、約20年もの間、各支店がそれぞれ独自の公定歩合を設定していたそうです。アメリカに住んでいると、欧米を中心とした話題が多いですが、日本の金融史についても一度ちゃんと勉強してみたいなと改めて思いました。
コロナ初期、米国債券市場のパズルを紐解く (2023年6・7月号)
- Ma, Y., Xiao, K. and Zeng, Y. (2022) “Mutual Fund Liquidity Transformation and Reverse Flight to Liquidity,” Review of Financial Studies, 35 (10): 4674-4711.のレビュー
現金の次に安全資産であるはずの米国債が、コロナショックの際に大きく売られたのはなぜか?という論文です。紙面の都合上、金融市場についての説明をコンパクトにせざるを得ず、Dash for cashのパズルが説明不足になってしまったかも….とやや後悔が残るレビューでもあります。
米国債は安全資産であるだけなく、金融市場の基準金利を形成する重要な資産です。さらに、国債はレポ取引の最大の担保でもあり、金融政策の伝達メカニズムにも深く関わっています。しかし近年、米国債市場が従来の想定とは異なる動きを見せることが増えており、その背景の一つとして指摘されているのが、金融市場の構造変化です。 従来、米国債市場の安定性を支えていたのは主に銀行でしたが、近年では、金融規制の影響等もあり、投資ファンド、保険会社、年金基金といったノンバンク(シャドーバンクやNon Depository Financial Institutions, NDFIsとの呼ばれることも)の存在感が大きくなっています。ノンバンクは市場が安定しているときには積極的に取引を行うものの、不確実性が高まった際の行動、他金融セクターへの波及が予想しづらいとされており、市場の混乱を助長する要因になっているのではないかと言われています。この点は以前から市場関係者や政策関係者の間でも指摘されていましたが、ノンバンクに関するデータ収集は十分に進んでおらず、実態を掴むのが難しい という問題がありました。論文では、その課題を解消し、コロナ直後にスピーディーに書かれた点が印象的でした。
なお、「流動性」という言葉はニュースでもよく耳にしますが、実際にどう測るのかは意外と難しい問題です。流動性には大きく分けてFunding liquidity(資金調達の流動性)とMarket liquidity(市場の流動性)の2種類がありますが(Brunnermeier and Pedersen, 2009)、論文によって流動性の測り方が異なることも多いです(Bid-ask spread(スプレッドの狭さ) Market depth(市場の厚み) Resiliency(回復力) Execution speed(取引成立までの時間)など)。紹介した論文でも「流動性ランク (Liquidation Rank)」といった変数を定義しているところがポイントだと思いました。
長くなりましたが、米国債は世界の金融市場の中心にありながら、その実態は意外と分かりにくい資産です。2008年以降の金融規制強化や、QEの拡大により、米国債市場の様子は過去20年で大きく変化しました(d’Avernas et al. 2024)。また、今後、量的引き締め(QT) が進み、中銀が米国債市場から撤退した場合、市場にどのような変化が起こるのかは依然として不透明です。その他にも、米国債のレポ取引が中央清算機関(CCP)を通じた決済に移行したことで、市場にどのような影響を与えるのかも注目すべきポイントだと思います。
因みに、国債は国によって発行年限、国債市場の市場参加者や入札方式、金融政策上での役割も大きく異なります。日本国債については、経済セミナーで連載も始まった服部孝洋先生の「日本国債入門」が良書だと思います(一時帰国中に買ってきてくれた奥村さん、ありがとうございました!)。
政治的分断は家計の資産形成に影響を与えるのか? (2023年12月・ 2024年1月号)
- McCartney, W. B., Orellana-Li, J. and Zhang, C.(2023)“Political Polarization Affects Households’ Financial Decisions, Evidence from Home Sales,” Working Paper (forthcoming at Journal of Finance).のレビュー
プレゼンを聞いた際、そのトピックの新規性とデータの独自性から、海外論文サーベイで取り上げたいと強く思った論文です。特に、ノースカロライナ州の有権者データが全世界に無料で公開されていること(最初読んだ時に目を疑いました)、住宅登記データ等と組み合わせることで、住宅売買と支持政党の関係を示す実証デザインの上手さが印象に残りました。(因みに、ファイナンスの実証研究に足を踏み入れて以来、驚いたことの一つはデータの多様性です。研究を始めた当初は、ファイナンスのデータといえば株価や債券価格、決算情報などの財務データが中心だと先入観を持っていましたが、近年はSNSデータ、クレジットカード取引データ、選挙データまで、多様な情報を活用した研究が増えています。)
アメリカでは直近の選挙もあり、政治的分断(二大政党制)に関する研究は引き続き重要視されると考えています。先日開催されたAmerican Finance Association(AFA)のパネルセッション「Polarization and Finance」でも本論文が引用されていました(YouTubeリンクはこちら、32分あたりのAntoinette Schoar教授のプレゼン内で当論文が紹介されています。他のパネリストの発表もとても面白いです)。
ただ、個人的には「観測される差が支持政党による影響なのか、それとも元々の属性の違いによるものなのか」を明確に識別することは、実証面の課題として残り続けるのではないかとも感じています。実際、当論文の実証デザインをもってしてもこの根源的な課題は解決されず、サーベイ内でも「例えば、異なる政党を支持する人々の間で飼う犬の種類や庭の手入れ方法に対する好みが異なる場合、これらの好みの違いが隣人間の摩擦を引き起こす可能性があるが、このような内生性は本論文では解決されていない」と限界について言及しました。因果推論は常に勉強中ですが、今後、新たなデータや実証デザインによってこの課題が解決されるかどうか、期待しています。
住宅価格と求職の隠れた関係性(2024年8・9月号)
- Brown, J. and Matsa, D. A.(2020) “Locked in by Leverage: Job Search during the Housing Crisis,” Journal of Financial Economics, 136(3): 623-648.のレビュー
PhDを始めた2021年頃、コロナ禍がまだ続く中、同じくマクロファイナンスに関心を持つ同期と「リモートワークの普及により、地方への移住が進み、地域間の住宅価格の格差が縮小するのではないか」と話していました。が、その後実際のデータやニュースを見てみると、そのような単純な動きにはなっておらず、住宅市場の粘着性や労働市場の摩擦について同期と議論していた中で出会ったのがこの論文です。
本論文では、住宅価格の下落による影響を大きく受けた求職者は、そうでない求職者に比べて (1) 転居を伴う求人には応募しにくい 一方で、(2) 転居を伴わない低賃金の専門外の仕事にも応募する傾向がある、ということを示しており、住宅ローンが求職の柔軟性を制約する「ロックイン効果(Locked-in by Leverage)」を明らかにしています。さらに、州境に着目したRDD(回帰不連続デザイン)の手法も非常に鮮やかでした。
また、本論文のロックインの示唆は、現在の米国の住宅市場にも当てはまり得る点が興味深いです。論文で紹介されたロックインは住宅の価値毀損の話だったのでは?と思う読者も多いかもしれませんが、米国では、住宅を買い替える際に、既存の住宅ローンを清算し、新しいローンを組むのが一般的のため、近年の金利上昇により借り換えコストが急騰し、住宅所有者が引っ越しをためらうロックインが生じています。実際、Fonseca and Liu (2024) 、Batzer et al. (2024)、Liebersohn and Rothstein(2025)等、金利上昇と住宅ローン借り換えについての研究は急増しており、現在も活発に研究・政策提言が行われています。
急激な金融環境(金利やインフレ)の変化に対する対応やヘッジが困難になると、その影響は住宅市場だけでなく、労働市場にも及ぶ可能性があります。ロックイン効果は、金融市場と実体経済がどのように相互作用するかを示す代表的な例の一つといえるでしょう。こういった米国の事例は、日本が「金利のある世界」へと移行する中で、住宅市場の変化や地方と都市間の人口流出入を考える上でも参考になるかもしれません。
金融デジタル化は新たな格差を生む?(2025年2・3月号)
- Jiang, E. X., Yu, G. Y. and Zhang, J.(2023) “Bank Competition Amid Digital Disruption: Implications for Financial Inclusion,” Working Paper.のレビュー
2019年に日本を発ったとき、キャッシュレス決済といえばSuicaやクレジットカードが主流でした。しかし、数年ぶりに帰国すると、どこへ行ってもバーコード決済が当たり前になっており、「ひょっとして、この数年の間に時代に取り残されてしまった…?」と感じた直後に読んだのが本論文です。デジタル化によって金融サービスの質が向上する一方で、新たな障壁が生じる可能性があるという本論文のテーマは、まさに私自身が実感したものでした。
論文では、預金者は年配層、借入層は若年層が多いという金融市場の現状を踏まえ、モバイルバンキングの普及が銀行の支店撤退を加速する可能性を実証的に示しています。 レビュー内では触れませんでしたが、2023年のSVB破綻以降、デジタル化と預金のデュレーション(資金の滞留期間)を巡る議論も活発になっています。従来、リテール預金者は金利や金融リスクへの反応が遅く、預金は「粘着的(sticky)」とされてきました。しかし、デジタルバンキングの普及や金利上昇を受けて、預金の粘着性も変化しつつあります。この点については、2007年の英国Northern Rock銀行破綻の際にも議論されましたが、2023年以降は特にデジタル化と支店経営、取り付け騒ぎ(bank run)の関連性を探る論文も増加しています (Benmelech et al., 2023; Koont et al., 2024)。本論文が示唆するように、年齢層によって預金の粘着性が異なる場合、世代ごとの異質性を考慮した銀行モデルが増えていくかもしれません。
さらに論文では、銀行利用者の異質性を考慮し、構造推定を用いて、モバイルバンキングの普及が銀行の経営戦略に与える影響を分析しています。今シーズン、Kelloggファイナンスのフライアウト(就活中の博士課程学生による研究発表) でも、構造推定を金融市場に応用した研究がいくつか見られました。しかし、いわゆるIO-Finance分野ではまだ何がスタンダードとされるのかが明確に定まっておらず、私自身も試行錯誤を続けながら研究を進めている状況です。
さて、本論文では「デジタル化」の一側面としてモバイルバンキングのみに焦点を当てていますが、実際には金融のデジタル化はより広範な領域に及びます。例えば、デジタル通貨(CBDC)、AIを活用した信用リスク評価、スマートコントラクトを利用した決済システムなど、デジタル化はより広範な分野で進展しています。この点に関しては、直近の日銀の高口理事による講演(2024年1月、リンクはこちら)が興味深く、デジタル化という事象を整理する上で参考になりました。
参考文献
- Batzer, Ross, William M. Doerner, Jonah Coste, and Michael Seiler. “The lock-in effect of rising mortgage rates.” Available at SSRN 5021709 (2024).
- Benmelech, Efraim, Jun Yang, and Michal Zator. Bank branch density and bank runs. No. w31462. National Bureau of Economic Research, 2023.
- Brunnermeier, Markus K., and Lasse Heje Pedersen. “Market liquidity and funding liquidity.” The review of financial studies 22, no. 6 (2009): 2201-2238.
- d’Avernas, Adrien, Quentin Vandeweyer, and Damon Petersen. “The Central Bank’s Balance Sheet and Treasury Market Disruptions.” Available at SSRN 4826919 (2024).
- Fonseca, Julia, and Lu Liu. “Mortgage Lock‐In, Mobility, and Labor Reallocation.” The Journal of Finance 79, no. 6 (2024): 3729-3772.
- Giglio, Stefano, Bryan Kelly, and Johannes Stroebel. “Climate finance.” Annual review of financial economics 13, no. 1 (2021): 15-36.
- Koont, Naz, Tano Santos, and Luigi Zingales. Destabilizing digital” bank walks”. No. w32601. National Bureau of Economic Research, 2024.
- Liebersohn, Jack, and Jesse Rothstein. “Household mobility and mortgage rate lock.” Journal of Financial Economics 164 (2025): 103973.